ホテル・ルワンダ キリングフィールド

「まあ、確かに文化大革命に問題があったことは確かだろうけど、中国共産党自体がそれを公式的に認めているわけでしょ。」
「でも、毛沢東そのものは否定していないんだよ。現在の中国共産党の公式的な立場は、毛沢東は偉大な指導者だったが、誤りもあったというものなのだからね。そもそも、毛沢東の業績から、誤りの部分だけを抜き出して批判した気になっていることに問題があるんじゃないだろうか?」
ソ連だってスターリンがいて、大虐殺やったじゃないか。毛沢東はそもそも、スターリンの真似なわけだから、毛沢東だけ責めるのは筋違いだろう。」
「でも、ソ連フルシチョフの時代にスターリン批判をやった。スターリンヒトラーと戦ったことが唯一正しかったことで、他のことはすべて間違ってたということで、レーニンは正しかったが、スターリンは間違っていたということで決着が付いている。」
「まあ、確かに、ドイツ軍がソ連に攻めてきたら、どんな指導者でも戦っただろうし、そんなことは当たり前のことだから、悪いところしか目に付かないんだろうな。」
「で、中ソ対立というのは色んな要素があるんだけど、スターリン批判をやったフルシチョフ共産主義を否定して、資本主義に走った裏切り者であるということで、中国共産党が批判したことによる。」
「で、中国共産党共産主義を実践するために、文化大革命をやると。」
「問題なのは、確かにスターリンはヒドイ奴だったんだが、ソ連の人民は一方的な被害者で、スターリンの命令を忠実に実行した共産党員も、共産党一党独裁の組織原則に従っただけだから、結局、本当に悪いのはスターリンだってことになった。」
共産党書記長がイイ奴だったら、それほど大掛かりな虐殺事件はおきなかったということか。でも、本当はそんなヒドイ奴が全ての権力を掌握できる共産党の組織原則に誤りがあったんじゃないのか?」
「じゃあ、中国共産党は何だよ。確かに、文革批判はしたのかも知れないが、そもそも、文化大革命を歓迎して熱烈に支持したのは、人民なんだぞ。こういう形で、人民が自主的に革命を実践するために動乱が起きたというのは、社会主義国では中国だけで、他の社会主義国では起きなかったことなんだよ。ということは、仮に、中国で民主主義を実践していたとしても、内乱を防止するためには機能しなかったはずなんだよ。」
「確かに、ソ連でもユーゴスラビアでも独裁を否定して民主化しようと思ったら、とんどもない混乱が起きたり、虐殺が起きたりしたよな〜。」
「だいたい、みんなが過激派だったら、選挙をしたら過激派が当選するだろ? セルビアだって自由選挙を実施しているんだが、セルビア共産党が支持されたりしているんだよ。戦犯として裁かれていたミロシェビッチだって、セルビアでは、西側で思われているほどワルイ奴だとは思われていないんだよ。それに、中国共産党は軍事を優先するという、毛沢東主義の基本は捨ててないじゃないか?」
中国共産党毛沢東は抗日愛国の英雄ということにしておかないと、中国共産党が中国を統治する正当性が失われるわけだから、そんなに堅いこというなよ。それに、人民だって過激路線は誤りだってことを学習したんだよ。」
「でもさあ、現在の改革開放路線が行き詰ったら、右に振れていた振り子が左に戻ることだって十分に考えられるんだぞ。」
「で、元もとの過激な路線が復活するかもしれないってわけだけど、そもそも、人民自体が共産主義なんて信じてないだろ。現実の中国は市場経済をめざしているわけだし。」「そうはいうけど、中国の人民が毛沢東を否定できなかったのは、毛沢東は人民に愛されていたからなんだよ。人民は毛沢東を愛しているのに、人民が毛沢東を否定できるわけないじゃないか。

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060312
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060304
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060225

「ボクが、このエントリーを続けるキッカケになったのは、嫌・嫌韓厨が言ってるように、関東大震災朝鮮人虐殺を忘れたいわけではなくて、実は、カンボジア大虐殺を忘れちゃってることなんだな。

僕が例として朝鮮人虐殺を挙げたのは、もちろん日本の観客に虐殺が他人事だと思って欲しくないからで、それには日本で起こった例を挙げないと意味ないでしょ?
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060225 ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

「ボクは、むしろ、カンボジア大虐殺を他人事だと思って欲しくないんだけどね〜。日本の新左翼毛沢東主義にかなり影響を受けていたので、連合赤軍事件で、同志が29名の同志のうち、12名も虐殺しちゃったということで、非常に大きな衝撃を受けた。」

事件の概要
1971年、左翼過激派の二つの組織が合併して連合赤軍が誕生。連合赤軍群馬県内の榛名山中に拠点榛名山ベースを設立して潜伏する。設立時の人数は29名。

殺人は組織が合併する前から始まっており、連合赤軍結成時点で2名が殺害されていた。被害者は、早岐やす子と向山茂徳。

これらの集団は総括と称して暴力を用い、メンバー全員による殴打などで、同志である仲間を次々と殺害した。手段は苛烈を極めていたことが後の調べで判明している。この凄惨な状況のためメンバーの一部は途中で脱出し、逃走または自首している。

「これって、関東大震災朝鮮人虐殺事件と比較しても最近の事件なんでしょ。」
「そうなんだよ。せいぜい、三十年くらい前の話しなんだからね。日本の新左翼カンボジアと違って、権力を掌握していたわけじゃないから、虐殺の規模としてはぜんぜん小さいのだけど。」「仲間を殺した割合からいって、カンボジア大虐殺みたいなことが、日本でもあったということか。」
「ていうか、順番からいうと、カンボジア大虐殺の方が後で、連合赤軍事件の方が先なんだけどな。」

1965年5月、シアヌーク国王は北ベトナムへの爆撃を行なうアメリカ合衆国との断交を宣言した。

1970年3月、親米のロン・ノルシアヌークの外遊中にクーデターを決行し、シアヌーク一派を追放、クメール共和国の樹立を宣言した。彼は翌4月、アメリカ軍に自国を侵攻させた。ベトナム戦争ホーチミンルートを粉砕するためだったが、このために国民の不人気を買った。

シアヌークは中国へ脱出したが、彼を助け、共にカンボジア帰国を果たしたのは、毛沢東主義に心酔したポル・ポトらの指揮する共産主義勢力「クメール・ルージュ」だった。10月、ポル・ポトシアヌークを擁立してロン・ノル政権との間で内戦となった(カンボジア内戦参照)。

1971年1月、アメリカはロン・ノル政権支援のために南ベトナム派遣軍の一部をカンボジアへ侵攻させた。10月、ロン・ノル軍事独裁体制を宣言し、1972年3月に新憲法を公布した。

1975年4月、ロン・ノルは亡命、ベトナムではサイゴンが陥落し、ベトナム戦争終結した。この後、クメール・ルージュが首都プノンペンに入城し、1976年1月に「カンボジア民主国憲法」を公布し、国名を民主カンプチアに改称した。

クメール・ルージュは、強力な農業本位と民族主義を打ち出した。プノンペンを始め、中産階級的な都市住民を強制的に農村に入植させ、強制労働を科した。頭脳階級や留学生をはじめ、200万人を超えるともいわれる虐殺も行った。

「もし、連合赤軍みたいなのが、もっと大きな勢力だったら、日本でも大虐殺があったかも知れないんだよ。」
「根っこのところは同じだから?」
「もちろん、そうだよ。ていうか、毛沢東は日本でも文化大革命をやれと言っていたのだからね。クメールルージュはベトナム共産党との関係で、対立していたから、中国共産党の支援を受けていたんだが、当時、中国では文化大革命毛沢東主義がすごく流行っていた。」
「そもそも、文化大革命ってなんなわけ?」「当時の日本の知識人の間では、ただ単に、毛沢東語録が流行っているだけのことだと思ってたようなんだけど、後に、中国共産党が公式で認めたことによると、実質は内乱だったんだよ。」

はじめ毛沢東指示のもと、劉少奇からの政権奪権を目的として林彪の主導により進められた。林彪の事故死後は四人組に率いられて毛沢東思想に基く独自の社会主義国家建設を目指したが、実質は中国共産党指導部における大規模な武力を伴う権力闘争であった。

指導部に煽動された暴力的な大衆運動によって、当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医者、などの知識人等が弾圧の対象となった。しかしその後弾圧の対象は中国共産党員にも及び、多くの人材や文化財などが被害を受けた。期間中の死亡者、行方不明者の数は数百万人とも数千万人とも言われる。

文化大革命は大きく三段階に分けられる。第一段階は1966年5月の紅衛兵結成から1969年の第9回党大会で林彪文化大革命を宣言するまで。第二段階は1973年8月の第10回党大会における林彪墜死事件の総括まで。第三段階は毛沢東の死の直後、即ち1976年10月6日の四人組逮捕までである。 期間については、林彪・四人組ら文革派は1969年の文革呼号の成功までが文化大革命であり、その後は文革路線を維持する継続革命段階に入ったとしているが、一般には周恩来を標的として1976年まで続いた批林批孔運動の時期も含める。

「どういうわけか、町山氏は共産圏での虐殺には触れてないよね。」「文化大革命は、カンボジア大虐殺を超えるものすごい大規模な大虐殺なんだけどな。」「ユーゴでの民族浄化というのは、旧共産圏ではあるね。」「でも、冷戦崩壊後に起こったことだし、一応、セルビア共産党が悪いということになってるけど、どう考えてもこれは右翼であって左翼ではないからね。」
「でも、町山氏は自称保守派なんでしょ?」「まあ、保守ではかなり珍しい立場だと思うけど、僕がリベラル左派なのに、中国の悪口を重点的にしているのは、もちろん、本来の共産主義の立場と毛沢東主義というのは違うからです。」「どっちも対してかわらないような気もするけどね。」

【中国】ネパール騒乱:中国が武器提供か「打倒、毛沢東派」
国王の統治をめぐり争いが続いているネパールで、中国政府が、現政権に対して武器提供を行っているという。反政府組織である「ネパール共産党毛沢東主義派」の打倒を目指しているとの指摘もある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060201-00000018-scn-int.view-000

「でも、本来の共産党毛沢東派は違うものだというのが一般的な認識。毛沢東思想を信奉しているセンデロ・ルミノソだって、これは他称で、自称はペルー共産党なんだよ。」