チップを考える

タイはもともとチップを払う習慣がないという説があるが、現実的にはチップを求められることが多い。チップの習慣はないが、タンブンの習慣はある。

ようするに、喜捨である。

どうもこの辺の感覚が日本人にはなじめないところだが、これをタイ式に応用すれば、食事代はその場で一番お金を持っている人が全部持つのが常識ということになる。

こういうのを輪廻(?)というのかは知らないが、その場で出したお金は回りまわっていずれ返ってくるという考えである。

それは、お金という形じゃなくても、有形無形なもので返ってくるものだから、出す側も心理的には損した気がしない。

チップというのは、そう言う意味では、誰が一番功徳のある人物かわかるという意味で重要なわけだ。

タイというのは、日本とは違って階級社会であり、そういう意味で上下関係がはっきりしないと具合が悪いのである。

日本は終戦直後に皆が貧乏になったこともあって、そういうことを考える必要も無かったわけだが、上下関係とか、階級社会というのは、偉いとか偉くないとかじゃくて、誰が社会に対して責任を取るかということだ。

ところが、現代の日本人というのは、昔と違って自分がお金持ちになったという気がぜんぜんしないので、これが結構、居心地が良くない。

だから、誰も責任を取ろうとしないわけだが、それがいつまでも通用するわけがないし、責任を明確にしないからいつまでもだめなのだ。