植民地支配の批判に答える

まず上のコマで女性が国際法上の手続きを遵守して世界が認めた上で併合したと言いましたが、しかし世界が認めたといってもその世界は当時国際法を無視して植民地開発を進めていた西欧諸国同士な訳で、無法者同士が「俺たちは法律を守っているぜ!」とか言ってもそれは当然正当性を持たないでしょう。実際韓国併合はどのように進められたのか?これをきちんと解明しない限り合法か否かは判断できません。

http://d.hatena.ne.jp/rir6/20050808/shihai

まず、この主張によれば、当時の国際法で植民地支配が非合法とされていたという前提があるようですが、国際法の当時の基準において他国を植民地とすることを違法とはしていません。

なぜなら、当時の国際法は西洋基準における文明国において、それぞれの利益を守るための慣習にすぎないわけですから、そもそも、大国がしていた植民地支配を違法とはしていなかったのです。
むしろ、未開人を教化するための植民地を持つのは文明国の義務とさえ考えられていました。

当時、日本が諸外国と結んでいた不平等条約を撤廃することは国民の悲願であったわけですが、そのためには日本も諸外国と同様な文明国であることを証明しなければなりませんでした。

日本は文明国ではないので、不平等条約を撤廃するわけにはいかないという諸外国の主張を言葉どおりの意味にとらえた日本は鹿鳴館で舞踏会を開催するという無駄な努力をしました。
その不平等条約撤廃の悲願が達成するのは、日本が日清戦争に勝利して台湾という植民地を獲得してからです。また、その発端は日本の軍事的な実力を認めた英国が対ロシア政策のために日英同盟の必要があったことはとても重要な事実です。

当時の国際法というのは、軍事力によって保障されているものであるというのが当時の現実であって、道徳とか善悪の感情によって規定されているものではなかったということです。これは、国家よりも上位の機関が存在しなかったことから見ても当然のことです。
当時の常識では、自分の領土と国民を守るための軍事力を持っているのが文明国であるということであって、優れた文化があるとか、科学技術が発達しているから文明国だというわけではなかったのです。

したがって、軍事力を背景にして、韓国併合を断行したから違法であるというのは、国際法の根本的な原理を理解していないことにほかなりません。つまり、これは自分の善悪感情で植民地支配は悪だから、国際法的にも違法なはずだという強い思い込みでしかすぎないのです。

これに対する国際法学者の見解ですが、ここに非常に興味深い事実があります。

会議参加者によると、合法論は国際法専門のJ・クロフォード英ケンブリッジ大教授らか ら出され「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を 取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不法なものでは なかった」と述べた。
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/heigou/sankei.html

そもそも、韓国併合不法論をアピールしようとした韓国側の意向が強く影響していた国際会議で、韓国併合不法論がイギリス等の国際法学者から論破されてしまったというのです。

韓国にとっては保護国化も併合も全く同じ意味であり、どちらも大変屈辱的なことなわけで、そんな保護国化に賛成する様な人間を殺した安重根はやっぱり英雄なんですね。

国が外交権を失うことは、実態として確かに外国の植民地となることを意味しているわけですから、その点において併合と大差ないことは当然ですが、併合と全く同じであるとするのは間違いです。

まず、内政の問題ですが、この時点でかなり形骸化されていたとはいえ、形式的には内政権は韓国に残されていました。韓国の皇室も残されていました。これは韓国を併合することは日本にとって非常に負担が大きいためで、伊藤の併合反対論の理由ともなっています。

これは、日本においてもGHQが日本政府を廃止せず、間接統治した事情と良く似ています。

それから、条約文そのものも、韓国側の意向を受けて修正されています。

・協約案第一条中、外国に対する関係及事務を全然自ら監督指揮すへしとある『全然自ら』を刪除せんことの李法相の提議を容れて之を削除

・新たに『第五条日本国政府は韓国皇室の案寧と尊厳を維持することを保証す』との一条を加へんことを権農相は我天皇陛下の御親翰中に認ためあるを援用して主張したる為め、大使自ら筆を執つて記入

・又第三条中『統監は専ら外交に関する事項を処理する為め京城に駐在し云々』の字句を挿入

・協約大體に其有年限を附記せんことを二三大臣中提案したるものありしも林公使は固く執て之れを容れす。於是右修正約案を携へ李宮相の要求に由り内閣大臣一名を同伴して入奏することとなり、李内相址鎔同道内殿に入れり。
暫くあつて李内相、李宮相出来り、陛下は該修正案を満足に思召し裁可を与えらるるへきの処、今一箇条陛下の御希望として、韓国か富強を致し其独立を維持するに足るの実力を蓄ふるに至らは此条約を撤回する旨の字句を挿入せんことを特に大使に懇望せらるるとの御沙汰に基き、大使は聖意を満足ならしむる為め自ら執つて協約書の前文中に『韓国の富強の実を認むる時に至る迄』の文字を加へ、再ひ李内相、李宮相をして聖覧に供せしめたるに、陛下は特に満足の旨仰せあり。
伊藤特派大使日韓新協約調印始末

つまり、韓国側の意向を組んだ上で合法かつ有効に締結されたことは間違いないわけですが、これに反してハーグ密使事件を引き起こすなど、韓国政府の態度に一貫性がなく、信用を失ったことが併合の理由になっているわけです。
そのため、苦心して加えた『韓国の富強の実を認むる時に至る迄』の限定的な条約であったはずが、将来的な独立の道を閉ざしてしまったのも、その責任は韓国政府自身にあるといえます。