ホテル・ルワンダ論争再び・町山氏はいまさら保守派だなんて言わないほうがいい 16:32

ん〜、町山氏が再びホテル・ルワンダのパンフレットに書いた例の一文に対する反響へコメントを掲示しているね。

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060304

 なんたって僕は今の天皇陛下が大好きなんだぞ。わからない人にはわからないだろうが、日系人真珠湾攻撃に迷惑したように、韓国や北朝鮮の狂った反日行動に一番迷惑しているのは僕のような存在なのだ。

ここで、再び、う〜ん、と唸ってしまった。どんな人種でも真珠湾攻撃には迷惑であったろうし、韓国や北朝鮮の狂気にはどんな民族もあきれているはずである。迷惑なことはどんな民族でも迷惑であって、だから、なんなのだという気がする。韓国系だから迷惑なのではなく、民族問題をネタにして騒動を起こすことが迷惑なのだ。

スピルバーグが『ミュンヘン』の最後の最後にまったく物語と無関係な世界貿易センタービルを見せたように。

スピルバーグがこういう微妙な映画を撮れるのは、彼がスピルバーグであって、残念ながら町山氏はスピルバーグじゃない。そもそも、反ユダヤ的とみなされる映画を撮れたのは、彼がユダヤ人だったからだ。

町山氏が韓国系であって、関東大震災朝鮮人虐殺に言及するのは、ユダヤ人であるスピルバーグが、反ユダヤ的な映画を取る勇気とはまったく異質なものである。アメリカ社会で反ユダヤ的とみなされることがどれだけマイナスになるか、知らないわけがないと思うのだけど。

そもそも、人種問題で微妙な発言ができるのは、その人種だけというルールがある。僕は、日本人だから、日本人を笑い飛ばす資格があるわけだが、韓国系なら、韓国人を笑い飛ばすのでなければ、フェアではないだろう。

町山氏は持論の「“異者”への脅威」をルワンダ虐殺の理由としてあげているが、実は、ルワンダにしても関東大震災朝鮮人虐殺にしても、「“異者”への脅威」として捉えるのは本質的に誤っている。フツ、ツチの対立というのは、神話であってフツもツチも本質的には違いがないわけだし、だからこそ、わざわざ身分証明書で区別していた。逆にいえば、身分証明書をわざわざ確認しないと区別できないからだ。それを、「“異者”への脅威」とすれば、本質を見誤っていることになる。

まず、その点をはっきりと議論しない限り、単なる民族差別問題にすりかえて昔の左翼のような一点突破方式ですべてをなぎ倒せばよいという問題でもない。

そもそも、天皇陛下が好きか嫌いかなんて話は誰も問題としていない。天皇陛下が好きでも嫌いでも、書いていることがどうしようもなく間違えてしまっているから、批判されているのだろうと思う。ちなみに、僕は一応、日本人だけど、先帝陛下は尊敬しているけど、今上陛下は好きではないぞ。

韓国系だからすべて間違っているとか、日系のすべてが善だとか、そういう問題ではないのだ。

たしかに、朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマは特定の少数民族に対する偏見が背景にあるのだろうが、実際に恐怖を拡大したのは、「誰が“異者”なのかわからない」ってことだったのだ。

おそらく、フツとツチの違いなんて、関西人と関東人の違いほどもないはずなんだよね。

というのは、大正時代というのは、今よりも教育が普及していなかったから、日本の地方出身者がそれぞれ出身地が違うだけで言葉が違っていて、話が通じないというようなことは普通にあったし、現在でも、「こいつは関西人だから。」「俺は関西人だから。」てな話はよくある。

そもそも、朝鮮人とはどういう人たちなのかなんて、知らない人の方が多かったわけだしね。

だから、当時の体験談では、日本人が襲われたり、帝国海軍の水兵が「朝鮮人は白い服を着ているから」という理由で襲われたりしたなんてことがあったことが記録されている。被害者は別に朝鮮人だけだったわけじゃない。

ちなみに、歴史的には朝鮮対日本よりも、戦国時代や明治維新での内戦の死者の方がはるかに多かった。もちろん、現在でいうような虐殺事件などもあったであろうが、虐殺事件として歴史に記録されていないのは、その当時はむごたらしい殺し方をすることが世界的に普通にあったからである。

なぜなのだろうか? 基本的に中華世界の一員であった日本は中国から相当の影響を受けていた。中国、朝鮮でも一族郎党を皆殺しにするようなことは良くあったし、むしろ、日本の近代化は中華世界の残虐性から離脱する必要性に迫られたものだった。

当時は、日本が現在の世界と同じように多様で違っていた。地方が違っていれば外国と同じであって、江戸時代の伊勢参りは現在の外国旅行と同じくらいの異文化体験であった。大正時代というのは、その江戸時代から、せいぜい半世紀しかたっていない。

当時の日本人には誤った中華意識から十分に離脱したとはいえない状況で関東大震災が起こったものと考えられる。中華という思想は世界の中心から離れたところにいる人たちは野蛮人という考え方だったからである。

よく、ネタにされるが京都の人は東京から訪問者があると、何の悪気もなく、「田舎の方から・・・・」などといったりするのは、その名残なのだ。

狂っているのは中華思想そのものであって、特定の人種ではない。

だから、町山氏は議論の前提をすでに間違っている。

たとえば僕はイラク戦争ブッシュ政権に反対したので反戦リベラルだと決め付けられるが、そもそも僕が『宝島30』やってた頃、『噂の真相』から「新保守の黒幕」って叩かれてたの知らないの? 

これでまた、うーんと唸ってしまった。リベラルでいいじゃない?僕はリベラル左派で資本主義者を馬鹿にしてるけど、それでなにか問題がある?

僕は労働者階級出身だから、資本家を公然と差別してるよ?

でも、実際の日本社会の対立構造は、労働者と資本家の対立よりも、労働者同士の対立が激しいものとなっている。

というのは、むしろ、違ってない方が憎悪の対象になりやすいんだよね。どちらも大して違いがないのに、正社員が派遣社員を馬鹿にしてたりするが、対立すべき対象が違うだろうと突っ込みたくなる。

たとえば、中国共産党日本共産党は非常に仲が悪かったし、国交正常化をやったのは自民党田中角栄だった。

第二次大戦後に中国と戦争をしたのは、ソ連ベトナムといった社会主義国の政権で、資本主義国ではなかった。アメリカ民主党クリントン政権時代は中国と一種の冷戦状態にあったともいえるし、共和党ブッシュ政権になってから中国への投資は拡大した。

つまり、まったく違っているなら、「アレは俺たちと違うから仕方がない」ということになるが、同じようなものではあったが、詳細が異なっているという場合は、「あいつ等は許せない!」ということになる。

なぜ、そうなるのか?それを考えないといけない。

いま、ネット右翼と呼ばれるような人は、実は、韓国に対して偏見を持っているというよりも、「西側同盟の裏切り者だ!」という意識の方が強いのである。だから、嫌北朝鮮流ではなくて、嫌韓流なのだ。資本主義万歳!な人は、むしろ、中国やベトナムに対する関心の方が強いのである。

違いというなら、ベトナムの方がはるかに違っている。が、嫌韓流ではむしろ、韓国軍のベトナムにおける蛮行に対する同情的な心理の方が強い。

町山氏は、いまさら「実は俺は保守なんだよ。」といっても、むしろ、火に油を注ぐような結果になりかねないだろう。なぜなら、もっとも嫌われるのは、裏切り者だからだ。右翼のテロというのは、左翼ではなしに、自民党に対してのケースの方がずっと多いのである。