嫌韓流は差別だという妄言を排す

マンガ嫌韓流2 (晋遊舎ムックシリーズ)

マンガ嫌韓流2 (晋遊舎ムックシリーズ)

良くあることだが、あんまり期待していなかった新人が大ヒットを飛ばしたときに、調子にのって二作目を出すと大コケしたりする。大コケといっても、前作よりは期待はずれというだけのことで、手を抜いた割には営業成績的にはそこそこ売れるものだ。

これを逆手にとって、百科事典ばら売り商法で、初回本に豪華なオマケを付けて、とにかく最初の本の数を取ってしまうなんて方法もある。シリーズものというのは、次回作の売れ行きが予測できるわけで、それなりに手堅い商売ではある。

最初の本を買った人は、内容を見なくても次回作を買う可能性は一定の割合で存在するからだ。

そういう意味で、この手の本の売れ行きが好調なことに不機嫌な人もいるだろうけど、それほど気にする必要はない。
流行というのはいずれは飽きるからだ。それをすでに承知の上なのか、嫌韓流2で一応、完結らしい。
おそらく、すでに嫌韓流現象というのは、作者の力量を超えてしまっているのだ。後発でもっといいのが出てくる前に撤退ということなら、潔いのかもしれない。

それに、嫌韓流現象というのは、一種の愛情表現にも似ている。韓国叩きにあけくれている人というのは、韓国に無関心な層よりも、はるかに韓国に関心があるわけだからね。つまり、嫌韓流派というのは、一種の知韓派であるともいえる。

日本人にとって、韓国というのは、数ある発展途上国のうちの単なる一つであって、取り立てて関心があるわけではなかった。ところが、いつの間にか韓国の存在感が出てきて、「韓国ってなに?」って面白がって見ている、それが嫌韓流の実態なのだ。

なにしろ、朝日新聞に「チマチョゴリ切り裂き事件が!」なんて記事が出なくなったのだから、間違いないだろう。

確かに、韓国はいま旬である。信じられないくらいのネタの宝庫なのだ。韓国政府公認の韓国最高峰の科学者の論文が捏造だったなんて、普通の国では全く考えられないことである。
これほど面白いネタを放って置く法は無い。リアルが漫画を超えてしまっているのだ。

嫌韓流というのはあくまでもポーズであって、本心から嫌っていたり、本気で排斥したいわけではなくて、ニートや引きこもりの暇つぶしなのだろう。
彼らの主な活動はグーグルでサーチして掲示板にコピペすることと、韓国について語ることだ。方向性が違うとはいえ、韓流ババアと大して違いはない。嫌韓流とは良く言ったものである。

おそらく、本当に在日が国に帰ってしまったら、一番寂しがるのが嫌韓流の読者なのだ。他になにも手に付かなくなってしまうくらい、彼らは韓国に夢中なのである。

欧州やロシアでネオナチが一定の勢力を確保しているのとは、明らかに異質である。