バック・ツウ・ザ・パスト

首相は格差が広がっていることについて質されたときに、こう答弁したとか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060201-00000108-jij-pol
経済格差悪くない、小泉首相が答弁=「ねたむ風潮慎むべき」−参院予算委

労働者のみなさん、あなた方が投票した自民党の首相はこんなことをいってるんですよ。
経済格差というと、努力した人が報われて、努力しなかった人はそれなりというイメージがある。本当にそうなんだろうか?
そろそろ、格差という言い方は止めた方がいいんじゃないかな。
これからは階級社会になるよと正直に言ったほうがいいんじゃないかと思う。

たとえばである。

あらゆる施設に白人専用と日本人専用とがあって、日本人は白人専用の施設には入れないということになったら、どうだろうか? これは差別だと誰でもが憤慨するだろう。
しかしながら、これからは金持ち専用と貧乏人専用の施設ができて、自然と相互の交流がなくなる社会になるのである。
もちろん、あからさまに金持ち専用と書いてあるわけではない。料金が高いので貧乏人は利用できないだけなのだ。そこで、たまたま馬券を当てたあなたが金にモノを言わせて金持ちエリアに入ろうとしても、金持ちにとっては貴方が貧乏人の出身であることは明確に区別できるので、誰にも相手にされないだけなのだ。もちろん、人から馬鹿にされることに耐えられない貴方は、貧乏人エリアで散財した方がましだと思うのである。

オリンピック以前とオリンピック以後で日本は大きく変化した。一般家庭でテレビ、冷蔵庫、洗濯機が普及して三種の神器と言われた。こういう便利で文化的な生活ができるようになったから中流だというわけである。高度成長の原動力はこの中流意識によるものが大きい。
戦後の一時期まで、鉄道も三クラス制で一等、二等、三等にわかれていた。
国民はすべて平等だという意識が広がって、鉄道でも一等車が廃止され、二クラス制になり、グリーン車が登場したのもこの頃である。
一等車wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%AD%89%E8%BB%8A

ちなみに、グリーン車の由来は二等車を緑色で区別していたことに由来するらしい。ちなみに、一等車は白色であったという。


単に名称が変更になったわけではなく、一等料金と二等料金で二倍くらい運賃が違っていたものが、運賃体系が一本化され、グリーン車に乗りたければ追加でグリーン料金を払えば乗れるわけだから、大きな違いだ。
グリーン料金は普通車と比べてシートに余裕があってその分、料金が割り増しになるという感覚だが、一等車というのはその以前は二等であるとされたグリーン車の料金の二倍になってるわけだから、身もフタもない話だが、貧乏人が乗れないようにするための料金設定だったわけである。一等というのは、単なる快適な席ではなく、貴賓席という位置づけだったのだ。

  • 格差社会というのは、ようするに半世紀後退すること

この、一等車が廃止され、グリーン車に移行したのはそんなに昔の話ではなく、1960年代の話なのである。高度成長時代に一致しているわけだ。つまり、格差社会、ボクに言わせれば階級社会なのだが、その格差社会に移行するということは、半世紀くらい前に戻ることなのだ。
社会というものは、時代とともに進歩しているべきなのだが、わざわざ半世紀くらい前にまで後退させることが改革だとはとても思えないのである。