北海道!?

このクソ寒いとわかっていて、わざわざ南国から東京に帰ってきたのは、アホではないかと思ったが、冬の日本も悪くないんだよね。それなら、ついでだから北海道に行ってみたいというのが人情というもの。
それも、夜行列車で夕焼けを堪能して、朝起きたら一面銀世界というのがいいではないか。
言っておくけど、僕は決して鉄ちゃんではない。
ボクの世代でブルートレインスーパーカーにあこがれなかった奴はいないくらい、それは庶民の手に届かないものだったのだ。
一応、ボクが生まれた時には新幹線も高速道路も開業していたのだが、それはあくまでも都会の話であって、地方ではまだ電車がなくて、機関車が走っているような区間もあったのである。
ちなみに、日本初の本格的高速道路である名神高速道路の開通は1964年だったから、高速バスなどあろうはずがなく、当時、一般的な人が旅行で利用する公共交通機関は圧倒的に鉄道であった。
首都高速道路といいながら、ほとんどの区間の制限速度が60キロ以下なのは、開業当時の車の性能は、箱根の山を越えることが一応の基準になっていたわけで、時速百キロでの巡航を可能とする規格を必要だとは誰も考えていなかったからである。
つまり、当時のほとんどの人にとって時速百キロ以上の世界は未知の世界だったわけであり、それが一挙に時速二百キロを可能とする新幹線や外国のスポーツカーはまさに夢の技術であったのである。
もちろん、庶民が気軽に海外旅行するような雰囲気ではなかった。何年か前にハワイ旅行を題材にした古い日本映画を見たが、どうみてもこれはハワイじゃないだろうと思った。実際、ハワイで撮影する金も無かったのだろうけど、日本国内で撮影してハワイに行った事にしても、問題にならなかったのは、当時、ボクの一世代前の年代の人気の新婚旅行先といえば、熱海だったくらいで、ハワイに行ったことがあるような人がほとんどいなかったからである。

黒澤映画がカンヌ映画祭で受賞したときに、主催者は慣例にしたがって日本人旅行者を探したが、日本人がどうしても見つからず、仕方が無いのでベトナム人を呼んだのは有名な話だが、当時、日本の実力というのはその程度のものだったのだ。
旅行といえば、夜行列車が主役という時代が、ほんの数十年前まであったのである。