キーニャオ

タイでお姉さんと遊んでいると良く聴く言葉は「キーニャオ」である。もちろん、ほめ言葉ではない。「ケチ!」という意味である。タイでは「私は貧乏、あなたは金持ち。」という関係は対等な関係ではないのである。
タイで「俺は貧乏人なの!」といっても仕方がない。タイの基準では、「飛行機で旅行できるような身分は金持ち」ということになっているわけだからね。

日本では貧乏人だから、金持ちだからといって差別はないことに建前上はなっているので、貧乏人だからどうだということはないのだが、タイでは明らかに差がついてしまっていて、金持ちが貧乏人の面倒を見ることは常識になっているのである。

そんなわけで、飲み屋のお姉さんも家族とか親戚にたかられてお金をあげているので、客からお金をもらうのもこれまた当然という意識がある。飲み屋のお姉さんは一般のウエイトレスよりも高収入だからといって、贅沢をしているかというとそうとは限らず、普段の生活は案外地味だったりするのだ。

国民性の違いといってしまえばそれまでだが、ちょっと小金を稼いだとしても、万事がこんな調子で気前良く人にお金をあげてしまうのだから、いつまでたってもお金がたまるわけがない。

それでも、目に見える形でお金をためるということではなくて、いまのうちに人に気前良くお金をあげていれば、来世にはそれが倍になって返ってくるから幸せになれるはずだという考えを改めるつもりはないらしい。

つまり、現実的にお金が返ってくるかどうかは別として、考え方としては、人にお金をあげることは将来的に倍返しがあるという考え方があるから、お姉さんとしては、客にどうどうとチップをせびるわけだ。親しい関係になればなるほど要求がエスカレートするし、それがよくないことだとはちっとも感じていないのである。

というわけで、タイで「お金を貸してよ。倍にして返すからさ。」というのは、自分が返すという意味ではなく、「来世になったら誰かがお金を倍あなたにあげる。」という意味なのである。

タイ基準では、チップはサービスの対価という意味ではなく、金持ちの社会的な義務と考えられているのである。金持ちの客が貧乏人のお姉さんに高額なチップを払うのは、当たり前と考えられているので、チップをあまり払いたがらない客がいたりすると、前述の「キーニャオ」といわれることになる。

それでも、日本人はアジア的な感覚が多少なりとも残っているのか、一般的には高額のチップを払う傾向にある。そのため、タイにとっては日本人客は上客ではあるのだが、僕はどうしても、タイの物価を勘案するとお姉さんの要求するチップはあまりにも高額に感じてしまう。

たとえば、100バーツはおよそ270円程度にしか過ぎないため、日本人にとっては別に大した額ではない。しかし、現地では一般的なウエイトレスの日当はせいぜい100バーツ程度にしかすぎない。日当分のお金をチップであげるとすれば、それはよほど良いサービスを受けた場合に限るといか、普通はありえないというのが、僕の基本的な考え方だ。

チップはせいぜい20バーツ程度で十分である。それで屋台で十分に食事ができる額だからだ。

ところが、タイのお姉さんにとっては、チップは100バーツとか500バーツでなければならないらしい。いくらなんでも、それはちょっとおかしいと思うのだが。実際問題として、チップを払う習慣のある白人観光客もそんな高額なチップは払わないのである。

実際問題、白人は料金的なトラブルを嫌う傾向にあるため、一杯いくらの明朗会計のゴーゴーバーにしか行かない。日本人向けの飲み屋のようなセット料金というのは彼らには理解できないのである。セット料金ということは、実際に飲まなくても最低料金が発生するからだ。

白人にとって、料金というのはサービスの対価という考え方が徹底しているため、飲むなら金を払う、飲まなかったら払わないというのは当たり前の話である。白人にしてみれば、お金を払いすぎる日本人は迷惑な存在である。物価が上がってしまうからだ。休暇の期間が長い白人にとっては、これは切実な問題なのである。

実際問題、白人の方が遊びに使うお金は日本人よりもぜんぜん少ないのが普通であり、そういう事実を知っていると、「ようするに、お前ら、日本人をなめとんのか!」という気にもなるが、はっきりしていることは、タイ人には悪気がないことである。ただ、いいこともある。市場原理が働くため、日本人に人気の飲み屋にはいい女が集まるからだ。

日本の飲み屋なら、通えば通うほど安くなるという常識があるが、タイの場合はまったく逆なのである。客が頻繁に通うなら、それはサービスが良いということだから、値上げするのは当然であるということなのかもしれない。