『ホテル・ルワンダ』を見たよ

早速見てきました。ちょっと勉強もしてみたのだが、いわゆるルワンダ大虐殺を民族紛争と捉えるのはムリであるし、これを日本に当てはめて考えてみるのも、ルワンダに対して失礼である。

というのは、元々、ルワンダフツ族ツチ族という二つの民族が存在しているということ自体が神話なのである。
ようするに、日本で言えば関西人、関東人、もしくは山の民、海の民というほどにも違いはないのだ。あえて強引に例えてみると、明治時代に士族、平民という二つの民族がいたというようなものである。

主人公のポールは、フツとツチの違いを、「ベルギー人が勝手に決めたもので、背が高くてて上品なのをツチ、そうでないのをフツと呼んだのだ。」という。ようするに、何の違いもないのである。

実際、身分証明書を見ないとフツなのかツチなのかは、当のルワンダ人にも見分けが付かないのだ。ポールもツチの女性と結婚しているわけで、元々、フツもツチも隣近所で仲良く暮らしていたのである。

フツの過激派がツチを虐殺するようになった経緯は、植民地時代の当局が、フツよりもツチの方を重用し、フツを支配させため、ツチがフツにうらまれていたことを背景にしている。

つまり、これを日本にあてはめるならば、植民地支配を根に持った朝鮮人が、日本人を民族浄化した、というような対立関係の方がより近いのである。
ちなみに、日本の歴史上、確かに関東大震災では無辜の民に対する惨殺事件がおきたことは不幸な事実ではあるが、これは国家的な犯罪でも民族的な犯罪でもなく、あくまで暴走した個人の犯罪である。
これは、ほぼ首都機能が壊滅状況にあったという非常に特殊な心理状態において発生した事件であり、日本官憲がこれを厳しく取り締まったことからいっても、これをホテルルワンダに対するコメントで同列に扱うことは不見識と言わざるを得ない。
なによりも、元々、異民族であった朝鮮人が日本に定住するようになったのは、日本の治安状況が良かったからである。よほどの馬鹿でなければ、自分が殺されかねないところに住み着くわけがないからだ。そういう意味では、間接的に町山氏はお父上を罵倒していることになりやしないか? 

まあ、それにしても某ブログのコメント欄がいわゆる「炎上」状態になっていて、町山氏の思惑とは正反対の方向に向かっているようですが・・・